4thライブをきっかけに担当が増えた話
後々読み返したら面白そうだなと思ったので記事にします。
タイトル通り、4thライブをきっかけに担当が増えました。
忘れもしない2018年2月18日、ドラスタPの友人がよく口にしていた「ムンナイ」が何なのか気になって調べたのが運の尽き、あれよあれよという間に彼らに魅了されプロデューサーを名乗るようになってから一年と少し。
私の担当アイドルはアイマス界最年長の男・硲道夫です。S.E.M P硲担当を名乗っています。情熱あふれる彼に惹かれた経緯をはまった当時記事にしようとしたらしい下書きが残ってました。そのうちちゃんと書きたいです。
担当とは別に、雨彦・漣・春名・都築さんのファンでもあり、憧れの人として翔真さんを仰いでいたりもします。ファンでも担当でもない翔真さんについてもいつか考えを文章にしてみたいですね。そうです、思考を文章として吐き出して整理するのが好きなんです。後で読み返すと「このときはこう考えてたんだなあ」って分かって面白いしね。
ちょっと話が逸れました。担当が増えた話です。
誰かというと、何を隠そう、ファン枠に入っているはずの牙崎漣くんです。
ファンのつもりでした。ずっと。いや、実際にファンでした。「担当アイドル」では間違いなくなかった。
これには私の面倒な役割RP完遂意識が関わって来ます。思えば幼少期からなりきりごっこ遊びが大好きだったのですが、成人した今でも私はごっこ遊びに真剣すぎるようです。長いし本当にめんどくさいんですが、そこをすっとばしてしまうと何も説明が出来ないので、とりあえずそこから触れようと思います。
私にとって、「プロデューサー」と「ファン」は明確に分かれています。
「ファン」は、アイドルの輝きを「客」として享受する側。そこにある感情は、純粋な「好き」であるとか、「応援したい」「もっと見ていたい」「追いかけたい、ついていきたい」という気持ちです。ファンはアイドルに対して責任を負う立場ではないので、恋心を抱くもよし、純粋に推すもよし、対アイドルの姿勢における幅を広く考えています。「ファンである私」は、彼らアイドルの輝きが生まれる過程に携わる人ではなく、従って受け取り方も自由であると思うからです。
一方「プロデューサー」は、アイドルをプロデュースする側の人間。つまりアイドルの輝きを生む、彼らが輝く場所を用意し、原石である彼らを磨き輝かせる側です。「プロデューサーである私」は、どうすれば彼らがもっと輝けるのだろうと考え、ステージに向かう彼らの背中を押す側に立っています。そしてこれはかなり私の中で重大な要素なのですが、プロデューサーである以上、担当アイドルに対するいわゆる夢思考は一切持ちません。私はSideMにおいて好感度が「親愛度」ではなく「信頼度」であるという部分に「アイドル」と「プロデューサー」の間に築かれる性別を超えた関係性を見いだしています。彼らが「プロデューサーである私」を信頼してくれている以上、こちらも純粋な信頼で返したいのです。プロデューサーはアイドルを預かる身。誰よりアイドルを大切にしなければならない立場の者が手を出すことは、例え双方同意の上だとしてもあってはならないと思っています。彼らが現職アイドルである以上は。元々夢思考が強いタイプでもないのですが、ほんの少しでもその要素が入ってくるのであれば、どれだけ好きでも絶対に担当は名乗らずファンでいようと思っています(重い)。
ちなみにこれは私の場合に限った話ですので、担当アイドルに恋をしていらっしゃるPさんを否定しようとかそういう訳ではありません。Pさんの数だけプロデューサーの在り方は存在して良いと思います。それを受け止めるだけの余白が、SideMのPには設けられているのだと思います。それも大好きなところ。
私は「アイドルの最初のファンはプロデューサー」という考えが大好きなので、「プロデューサーである私」は、担当アイドルのファンでもあります。但し、「Pである」ことが大前提なので、上記の定義ほど幅は広くありません。あくまで純粋な応援の感情です。
「好きだ」と言うことは簡単に出来ます。感情の表明ですから。でも、「彼をプロデュースする」と言うには相応の覚悟が必要です。プロデューサーになるということは、一人の人間の、アイドルとしての人生を一緒に背負うということ。客席で舞台の上から差し伸べられる手を待つのではなく、彼らが客席に手を差し伸べられるようになるまでを、差し伸べたその先を、己の手を差し伸べ、肩を並べ、不確定なその未来を共に切り拓く覚悟を持ちたいのです。
とまあこのように、大変面倒な設定?ハードル?を自分に対して義務づけている訳です。本当に面倒くさいぞこの女。
しかもこれだけ書いておいてこれは前提条件に過ぎないのだから自分で自分にびっくりです。
ここから本題です。なぜ牙崎漣が担当になったのか。
タイトル通り、きっかけは4thライブです。元々銀髪長髪が好みなこともあり、漣は最初からかなり上位で好きなキャラクターだったところに飛び込んできたのがWTスペイン。私がPになって初めてのステ硲さん出演イベントで、なんとか硲さんをガシャから呼び出し、その過程で完凸した志狼くんを連れて、初めての本気参加のイベントで何も分からぬままがむしゃらに走り、なんとか1000位少し落ちる程度のところにランクインし、三人揃って衣装をひっさげ帰国出来たのでした。
その後も、モバでの担当との関わりや3rd仙台ソロなど少しずつ存在が大きくなってきていたところで先週の4thライブ一日目。
思い入れのあるWTスペイン。来るの早すぎるわ薔薇くわえてるわムレータついてるわでもう大パニックで、赤にしたペンラを降ることすら出来ず握りしめたまま硬直していたのですが(後々友人に固まってたねと言われました)、手の動きが止まるほど食い入るようにライブビューイングの画面を見つめ、動きに合わせてひらめく彼の束ねた髪に目を奪われた瞬間、ふと何か胸の中でぷつんと切れるような感覚を覚えたのです。
「並び立ちたい」「背中を押したい」
そんな感情が頭をもたげ、鼓動が早まるのを感じました。
そのときはいっぱいいっぱいで、それ以上のことを考える余裕はありませんでした。
しかし、二日間のライブが終わってもあの時の感覚は鮮明に思い出せ、
「手の届かない場所であの鮮烈な光を見るのでは物足りない。あの光をもっと強く輝かせたい」と思いはどんどん大きくなっていきました。
もうここまで来たら担当増えましたって言ってもいいんじゃないのって感じですが、そこは前述の通り面倒くさい女なので、それからずっと「私に彼の背中を押す資格は、覚悟はあるのか」と考え続けていました。
そして、結論が出ないままだったところに飛び込んできたのがステのスチームパンクイベだったのです。
狙ったかのようなタイミングで発表されたイベント上位。そういえば、初めて走ったのも漣が上位だった。
自分で言うのもなんですが、私はタイミングに愛されてるんじゃないかと思うのです。いまやすっかり硲さん担当の私ですが、SideMを知ったばかりの頃、先輩Pの友人に誘われて行ったのが3rd福岡のライビュだったり、何かと「タイミング良すぎない?」と思うことが多い私に、これまた良すぎるタイミングでやってきた漣の上位。
予告バナーに映る漣を見た瞬間、覚悟を決めろと言われたような気がしました。
そっちがそう来るなら全力で迎え撃ってやる。
そう思って走っていた最中にモバの一コマがS.E.M&虎牙道な上テストの件が進展しているというこれまた狙ったかのようなタイミングに背中を押されているように感じつつ、なんとかイベント走りきりました。
力及ばず500位内には入れませんでしたが、過去最高にポイントを積み、漸く覚悟を決めました。
今日から私の担当は、二人になります。
常に高みを目指しひた走るあなたたちの隣にあって背中を押せる存在でいられるよう、一等星の輝きを一番側で見届けるプロデューサーになれるよう、一緒に走って行く覚悟を決めました。これからもっと輝いていくあなたたちをプロデュースさせて下さい。